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Facebook、TwitterなどのSNSは、日本語版開設当初からアカウントを取得していましたが、最近まで、楽しみ方がまったく理解できなかったので、殆ど利用していませんでした。
もっとも仕事の関係で、Facebookアプリを数件制作したことはあります。だからFacebook Developersには頻繁にアクセスしていたりするので、一般のユーザーとは使い方がちぐはぐです。

今年に入ってから、FacebookとTwitterを自分なりに楽しめる利用の方法を見つけました。
Facebookはここでは置いておいて、Twitterの楽しみ方を書いておきます。

Twitterにアカウントを登録すると、メールが大量に送られてきます。
これまでは意味不明だったので全て迷惑メールとして処理していたのですが、これが間違いだったようです。
送られてきたアカウントなのだから、全てをフォローすれば良いのです。
わたしは神経質に考えすぎていたのですが、フォローをされても相手ユーザーは別に気にもとめないと言うことに気がつきました。
Twitterはもともとが緩やかなつながりのSNSと言うことにようやく気がつきました。

これがわたしの楽しみ

この画像はTwitterから配信されてきたメールの一部です。

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Twitterから送られて来るユーザー全てをフォローしているうちに、様々な人や組織とつながりが出来、日本全国に散らばっているTwitterユーザーが紹介される様になりました。

上記画像は切り抜きなので一部分しか表示されていませんが、それでも「ラジオ福島」「会津若松市」「河北新報夕刊編集部(本社仙台市)」「DAてFM(仙台市放送局)」がお薦めユーザーとして紹介されています。

この紹介されているユーザーを見るだけで、わたしは様々な歴史上の出来事やわたし自身の旅の思い出などを思い出してしまい、ワクワクしてしまいます。

福島県

例えば福島県は、わたしにとっては第五番目か六番目の故郷と言って良いほど身近で愛着のある県です。

会津若松市は有史以前から開けた土地だけに歴史が古く、伝教大師(最澄、比叡山)と徳一(慧日寺)の論争、蘆名氏と伊達氏の攻防戦と正宗による蘆名氏滅亡、蒲生氏郷の武勇と治政、保科正之の知性と治政、幕末期の京都守護代の活動と松平容保の苦衷、明治維新時期の会津戦争の惨禍とその悲劇、会津若松を目指して落ち延びながら途中の只見の塩沢で果てた河井継之助の無念、維新後の斗南藩への会津藩士の流刑とそのときの過酷な生活、等々。

八重の桜がNHKで放送されたので、会津戦争前後の会津藩士の事を今では誰でもご存じと思いますが、佐川官兵衛官兵衛(鬼官兵衛)、山川兄弟(浩、健次郎)、西郷頼母(家老)、韋軒秋月悌次郎など、もし薩長土肥に生まれていれば首相大臣はまず間違いなく務まる人材なので、どれほどの事跡を後生のわたし達に残せてくれたかと惜しまれる人物が多くいます。)

福島県はとても愛着があって、1997か1998に年間50回以上も訪れたことがあります。10月下旬に田代山峠(県境)を越えるときに吹雪に遭ってびっくりしました。
東日本大震災の前年には、今でも立ち入り禁止区域のあたりを中心に年間合計で10泊くらい、テントを張りながらキャンプツーリングを楽しんだこともあります。
こと、道路に限って言えば、市街地を除けば隅々まで知っているはずです。

仙台市

河北新報社の社名の由来は戊辰戦争で東北諸藩を打ち破った薩長土肥の側の長州人(山口県)某が「白河以北一山百文」と勝ち誇って蔑視の言葉を吐いたことにあります。
平民宰相として日本民主主義の歴史を語る上での最重要人物の一人の原敬の雅号は「一山」ですが、これも上記に由来しています。

だいぶ前のことでそのときの首相の名前は忘れてしまったのですが、衆議院選挙の時、会津若松市の候補者を応援するために時の首相が訪れて「長州人のooが来ました!!」とニコニコしながら叫んでいたのをニュース番組でみて、わたしはあっけにとられたことがあります。
加害者側は忘れていても、東北人は戊申の恨みを今でも忘れてはいないのです。

仙台市は関東地方から北東北に抜けるのに必ず通らなければならないので、通行しただけや時間調整のため(新幹線や飛行機)に数時間ほど街中をぶらついた、という事を含めれば20回か30回か40回か、それ以上か、訪れています。
仙台市を目的に訪れたのは2回か3回で、マウンテンバイクを車に積んで、丸一日市街を走り回ったこともあります。青葉城に登る坂はきつく、しかも狭く交通量が多いのでMTBが路肩を走るに走れず、肩に担いで車道の左側の土の上を歩いた事を覚えています。わたしは栃木県人ですが半分は東北人のつもりでいます。

一ヶ月以上を北海道で過ごした帰り道、仙台市街でラーメンを食べたのですが、最初の一口を食べたときに「あぁやっと地元に帰ってきた」とホッとしたことがあります。
わたしにとっては東北も仙台あたりになると、地元という感覚なのです。

所感

ネットの話題を取り上げるこのブログで歴史や地理の話となってしまいましたが、Twitterで繋がって行くと、こうした思い出が次々と出てくるのが、今のわたしのTwitterのたのし見方なのです。

2月 7th, 2015

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